プチ学

身の回りのちょっとした役立ちそうな事をまとめています。

現在の「JR」、旧「日本国有鉄道」(※国鉄)がプロ野球の球団を持っていたのは本当か?

皆さんは、400勝投手で有名な「金田 正一」さんが、大活躍した「国鉄スワローズ」というプロ野球の球団を知っているでしょうか。

国鉄スワローズ」が産声を上げたのは、1950年(昭和25年)のことです。

何故、国鉄プロ野球の球団を持っていたのでしょうか。

そもそも、日本の鉄道は、1871年(明治4年)に「汽笛一声新橋を」でお馴染みのように「新橋」から「横浜」まで初めて開通しました。

運営は、工部省鉄道寮(のち工部省鉄道局)が担当しました。

その後、何度かの組織改編や移管があり、1920年(大正9年)に鉄道事業の権限強化・独立を目指して、鉄道省に昇格したのです。

しかし、1943年(昭和18年)11月1日、戦時体制に伴う官庁統廃合の一環として逓信省と合併し、  運輸通信省となりましたが、組織が巨大すぎるという理由により1945年(昭和20年)5月19日、やはり、運輸通信省逓信院」と「運輸省」に分離し、運輸省鉄道総局が管理・運営をすることになりました。

第二次世界大戦後の国営鉄道はインフレーションに加え、復員兵や海外引揚者の雇用の受け皿となり、運輸省の1948年度(昭和23年度)の国有鉄道事業特別会計は300億円の赤字となり国の財政は極度に悪化しました。

 

国鉄の誕生

戦前の日本では、労働運動と共産主義は押さえ込まれていました。

しかし、押さえ込まれていた労働運動は、敗戦により、溜まったエネルギーを全部吐き出すかの勢いで、労働争議が頻繁に起きる社会情勢になったのです

この事態を憂慮した、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)のダグラス・マッカーサー司令長官は、手をこまねいていませんでした。

1948年(昭和23年)7月22日に芦田均首相に独立採算制の公共企業体 の設置を勧告する書簡を出したのです。
その書簡の内容は、国家公務員の争議を禁止と、国の専売事業や国有鉄道などの国営事業を一般の国家公務員から除外し、公務員より緩和した一定の労働権を与えることで効率的な事業経営を目指す というものでした。
当時の日本は、連合国軍の占領下で、抗弁ができる状況ではなく、「日本国有鉄道」の設立を定めた「日本国有鉄道法」は、 1948年(昭和23年)11月30日に国会を通過し、1949年(昭和24年)6月1日に、「国鉄」は発足したのです。

国鉄発足までは、国が運営している鉄道で働く従業員は、完全な国家公務員だったのです。

この時に、日本国有鉄道日本専売公社日本電信電話公社三公社と、郵政・造幣・印刷・国有林野・アルコール専売の五事業の国営事業の経営スタイルである「三公社五現業」が確立されたのです。

国鉄は発足後、ただちに職員9万5000人の人員整理に着手しました。

この大規模なリストラが引き金になったと言われる「下山事件」が起こり、国鉄は、とてつもない大きな混乱の渦に呑み込まれたのです。

その一方で、戦時体制のまま承継した地方機関の「鉄道局」「管理部」も再編し、鉄道局を地方支配人に、管理部を鉄道管理局に改め、特別急行・急行の復活など輸送力の回復を強力に推進したのです。

 

労使関係改善の切り札「国鉄スワローズ

下山事件」は、人員整理に反対する国鉄労組による犯行という噂が立ち、その観点から警察の捜査が進められました。

「GHQが事件を起こし国鉄労組や共産党をなすりつけて、人員整理をしやすくした」という陰謀論までが飛び交い、ただでさえ険悪な労使関係なのに、警察の捜査が進められると、さらに輪をかけたような険悪な雰囲気になったのです。

謎の死に方をした初代総裁「下山定則」の後任には副総裁の 「加賀山之雄」が就任しました。

就任した1949年は、戦後の復興とプロ野球への関心が高まり、プロ野球界で「リーグ再編」の問題が起こり、新たな球団を作ればプロ野球に参入できる土台が出来ていたのです。

千載一遇の好機と、総裁に就任したばかりの「加賀山之雄」は、無類の野球好きなこともあり、険悪な労使関係を修復する妙案として、国鉄職員の団結と意識高揚を目的にプロ野球の球団の設立を提案し、設立するに至ったのです。

この時には鉄道系のチームが東急電鉄東急フライヤーズ」、阪急グループ「阪急ブレーブス阪神電気鉄道大阪タイガース南海電気鉄道南海ホークス西日本鉄道が「西鉄ライオンズ」と多数あった世情も後押しをしたようです。

しかし、国鉄日本国有鉄道法第3条によって鉄道以外の事業が制限されていたのです。

「鉄道に付帯する運輸に関する事業」や「所有地の高度利用に関する事業」は認められていたのですが、拡大解釈してもプロ球団の運営のハードルは郄かったのです。

そこで、「財団法人交通協力会」「国鉄出資で駅売店などを運営する鉄道弘済会」「日本通運」「日本交通公社」などの国鉄と関係の深い会社が出資して、「株式会社国鉄球団」を設立して「国鉄スワローズ」は誕生したのです。

 

国鉄スワローズ」のネーミング

ニックネーム決定に、最終案として残ったのが「スワローズ」と「キリバース」(国鉄の紋章“動輪に桐”に由来)の2つでした。

しかし、“動輪に桐”は一般にそれほど知られていたわけではなく、国鉄内部向けの印象が強かったのです。

ツバメ「スワロー」は古来よりスピードの象徴でありスピードを重視する野球チームの愛称にふさわしく、またツバメは人と共生する習性があり、愛される球団名として適切であることされ、スワローズの方に決定したのです。
当初「コンドルズ」にしようとしたが、本業の鉄道が「混んどるず」ではマイナスイメージだから取り止めた」「座ろうず」にすれば鉄道業としては快適なイメージだから「スワローズ」を採用したという俗説が有名ですが、これは面白おかしくした作り話で本当ではないようです。